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煉誠館の趣意

我々が目標とするもの

精神的な支柱

煉誠館は、日本古来の武術である「大東流合気武術」を鍛錬し、修行の日々の中で人間的成長を目指す団体です。

一般に、武術といえば「闘争の手段」あるいは「危険を回避するための護身術」などと考えておられる方が多いかと思います。ですが、それは武術によって得られる価値の表層的な部分に過ぎません。武術は、理不尽な暴力に対処するための技術のみならず、正しく学んでいくことで、人間が生きていく上で対峙する精神的な課題を解決する手掛かりをも与えてくれます。

武術が単なる闘争の手段であれば、現代の世にとって、さほど有用ではないでしょう。かつて「武士」と呼ばれた先人が真摯に学び、「精神的な支柱」として選択したのが武術であります。そこには、人生の糧となる哲学と、精神を奥深く模索するのに耐えうる体系が備わっております。

人が日々を生きていく中には、楽しいことばかりではなく、苦しいことも多々あります。

真摯に生きようとする者ほど、苦しみは多いものです。身に覚えのない理不尽な難事が降りかかることもあるでしょう。時として、その重圧に耐えかねて、挫けてしまいそうになるかもしれません。

そのような時、心の中に、拠り所としての「決して折れることのない、精神的な支柱」を感じることが出来れば、現状に絶望することなく、冷静に前を見ることが出来ます。混乱の中でも諦めることなく、希望を見据えて少しずつでも歩いていくことが出来ます。そして、その柱は柔軟であるはずです。硬いだけの柱は、すぐ折れてしまいます。

かつての武士が生死を賭して磨き上げてきた精神の結晶が日本の武術です。真摯に求めれば、社会的地位、財力、学歴、生まれた環境などに関係なく、どのような境遇に置かれた方でも、「心の中の一つの柱」として自身を支えてくれます。

惻隠の情は強さに宿る

人が有意義な人生を送るために必要なものは何でありましょうか?
様々な考え方があるでしょうが、煉誠館としては、何よりもまず「惻隠の情」を挙げさせていただきます。

惻隠の情とは、可哀想な人を見て同情したり、弱い立場の者をいたわったり、といった、自他の区別なく素直に他人を思いやる気持ちのことです。現代風の言い方をすれば「愛」と呼べるでしょうし、もっと簡単に表現するなら「優しさ」と言ってしまっても良いかもしれません。

他人に優しく接し、共感し、共に歩もうとする。利害関係や損得勘定ではなく、自然に、心の底から人を思いやる気持ち。この暖かな精神は、自分さえ良ければ他人は関係ない、というような自己本位の日々からは決して生まれません。ほんの少しずつでも、自分本位の感情と向き合い、手放す努力を続けることで、少しずつ積み重なっていくものです。
それは口で言うほど簡単なものではありません。理屈で知っていても意味はなく、行動を通してしか身につかないからです。

また、自己犠牲になってもいけません。不幸な人間が、他人の幸せなど願うことは出来ないでしょう。心の底から納得し、ごく自然にその発露がなされなければ、自分自身の心が疲弊してしまいます。

ゆえに、言動一致、知行合一の真の優しさというのは、「強さ」の中にこそ存在します。惻隠の情を端とする仁の徳を大切にし、行動原理の礎とした武士たちが、強さを求めて武術を学んだことが、それを裏付けているのではないでしょうか。

先に述べた「心の中の一つの柱」もまた、惻隠の情と無関係ではありません。人は心の底から湧き上がる優しさで他人を思いやるからこそ、大きな力を発揮します。自己本位の欲望では、他人はおろか、自分自身を支えることが出来ません。誰かを想い、慈しみ、仁と同化した心はしなやかで、柔軟に変化して、そう易々と折れることはないのです。

煉誠館の武術は、他者と争い傷つけ合うものではなく、自身の中にある優しさの源泉に触れ、それを日々の生活の中に活かすことを主目的とします。人殺しを原点とする武術が優しさを語るなど、いささか訝しいと思われるかもしれませんが、現実に、惻隠の情がなければ日本武術は成り立たないと言っても過言ではないほど、密接な関係にあるのです。

殺意を持って敵に当たる者は、敵を破壊すると同時に、自分自身の心身を傷つけていきます。それは果たして、人として正しい強さと呼べるでしょうか。

精神的武士として生きる

心の中に精神的な支柱を持ち、惻隠の情を以て世界の平和を実践する者。近世の日本において、そのような先人は「武士」と呼ばれました。
修己治人を旨とし、平時は平和に貢献ながら、やむなく争いになれば、信じる価値観を守るため果敢に立ち向かう。現実に即する中庸を求めた行動規範は、人間の理想像の一つの形でありましょう。

歴史を振り返れば、武士は、階層社会における身分の一つでした。ゆえに、現代の日本において、すでに武士という階級は失われております。その意味では、武士はもう、この世に一人として存在していません。

ですが、武士が残した気高い精神性は、武術をはじめとする様々な芸能や文化の中に、確実に受け継がれております。決して失われてはいないのです。

ならば、武士などこの世に存在しない、などと悲観している場合ではありません。

世の中を少しでも良くしたいと願う者全てが、先人が残してくれた精神性を受け継いで「現代の武士」になれば良いのではないか。それが、煉誠館の設立当初から一貫する想いです。

人それぞれ、生きる目的や役割は違いますから、身の丈を超えて無理をする必要はありません。各々の立場の中、自分に出来る範囲で、武士らしい行動・思想を実践していく。そのような、志ある「精神的武士」が増えれば、この国はもっと平和に、暖かくなると信じます。

武術は、暴力を助長するものでは決してありません。精神的武士として生きるための力を培うための手段です。
スローガン的な精神論に終始することなく、真摯に自己の向上を求める者が共に高め合うための土壌として、今後も古流の武術を伝えて参ります。
志ある皆様と、心の底から笑えるような、そんな人生を歩んでいければと願っております。

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