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煉誠館の名前の由来

誠を煉り、世に善を蒔く人でありたい

誠を練り磨き、共により善い人生を

武術を志す者たちが集い、一人ひとりが自身の心にある「誠」に気づき、日常生活の中で試行錯誤しながら練り磨いて、共により善い人生を歩んでいきたい……。そんな想いから、当流の稽古組織を煉誠館と名づけました。 陽明学で言うところの「致良知」に倣い、「事上磨錬」によって、より実用的な至誠の心を確立させること。それが、この現代社会における武術の意義であると信じています。

誠は言い換えれば「まごころ」であり、私利私欲を超えて、他者に奉じる心をそう呼びます。武術の修行において、行き着く境地はここであり、上達すればするほど、我執の中に真理はないと肌身で感じることが出来ます。武術は、単なる暴力などではなく、自己中心の価値観を削ぎ落として誠に触れるための手段です。矛盾に感じられるかもしれませんが、武術に習熟するほど、闘争からは遠ざかって、人間としての普遍的な美しさを求めるようになるようです。

ゆえに煉誠館では、武術が持つ戦闘技法としての価値のみならず、生き方に関する気付きや変容を及ぼす「精神修養」の側面を重視します。人の品性、善悪を判断する基準などは、外部から後天的に与えられるものではなく、心の内に宿っている。武術を通して自分と向き合い、余計なものを捨てていけば、幾度となく、自身の奥底にある「誠」を感じる瞬間が訪れます。

かつて、この国の支配階級であった武士たちが嗜みとしたのが武術です。例え戦いの技術に長けていても、粗野で傲慢、他者に対する優しさがない者は、人々の支持を得られるはずがない。

もし武術が単なる暴力であれば、武士たちが熱心に求めたわけがないのです。そこに、人の上に立つ者が修めるべき理由があったのは間違いないでしょう。

いずれにしても、自分の心の中にある「誠」に気づく度、人生観が変わっていきます。付け焼き刃の道徳ではなく、体感として、人を思いやることの美しさが分かり、感謝の気持ちが湧き上がってくるのです。いくら学問をして道徳的な知識を詰め込んでも、心が納得しなければ身につきません。なので、武術のように、体を通して確信するという経験が有用であると感じています。

誠を大切にする人が集まり、切磋琢磨して、その成果を社会に還元する。つまり、一人ひとりが、出来る範囲で隣人の幸せを祈り、行動していけば、ほんの少しかもしれませんが、社会がより善い方向へ進んでくれるのではないか……そのような期待が、煉誠館の名前には込められています。

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