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山行(大峰山登拝)

自然の中で己と向き合い感性を高めるための行

武術修行と山行

煉誠館では、例年、奈良県南部にある山上ヶ岳(大峰山)への登拝を実施しています。

これは、煉誠館の母胎となる西郷派大東流の伝統を受け継ぐものであり、武術修行に山行は不可欠であるという思想のもと、有志を募って実施するものです(1300年来の伝統に基づき女人禁制のため男性のみ)。

山上ヶ岳は古来から続く修験道の聖地であり、今なお生きた信仰が息づいています。
開山時期の5月3日~9月23日を中心に、多くの行者や参拝の方が訪れており、厳粛な雰囲気の中で、それぞれが己の課題と向き合いながら山頂の大峯山寺を目指します。

美しい自然と清涼な空気を感じながら、黙々と歩く。その行為には多大な示唆が含まれており、山の霊気も相まって、真摯に求める者には何かしらのヒントを与えてくれます。

武術の修行は、剣を打ちあい、投げて抑え込むだけではありません。揺らぐ心を御するところにこそ大きな課題があり、その難解な境地に近づくためには、自分本位の粗い精神ではなく、大自然の一部たる人間本来の精神へ回帰する必要があると信じます。

ゆえに、自然の中に入って己を見つめる山行は、紛れもなく武術修行の一環と言えます。

無論、山に入るだけが修行ではありませんし、他にも有効な方法はたくさんあります。が、山というのは本当に不思議なもので、他の行では得られない何かがあると感じ入る次第です。

また、古流武術の体系に修験道や密教の流れを汲む行法が組み込まれているというのも理由の一つです。煉誠館が伝える武術には、腕立て伏せやウェイトトレーニングなどの、いわゆる筋トレは存在していません。その代わりに、呼吸法等の行法や山行を通じて体を鍛える必要があります。

いずれにしても、古の武術者は自然から世界の摂理を学び、神仏を観じて大切にしてきたふしがあります。何かの宗教に所属していなくても、山に入ることで学ぶことは多いです。

人それぞれ考え方もあり参加は必須ではありませんが、山から何かを学んでもらえればという想いで大峰山の参拝を継続しております。

  • 山行 イメージ画像1

    登山口の結界門

  • 山行 イメージ画像2

    謙虚さを忘れず淡々と歩く

  • 山行 イメージ画像3

    清々しい尾根道

登拝と登山の違い

煉誠館の登拝においても、内容は一般の登拝と大きく変わることはありません。吉野郡天川村洞川の清浄大橋の結界門から山へ入り、頂上の大峯山寺へと向かいます(参加者のコンディションが良ければ、少し厳しい五番関登山口から入ります)。

道中の要所にて勤行(読経)を行いますので、可能な限り声を出してお経を読んでいただきたいと思います。

概要としては以下の通り。

<コース>
登山口(清浄大橋)⇒一本松茶屋⇒お助け水⇒洞辻茶屋⇒陀羅尼助茶屋⇒鐘掛け岩⇒西の覗き⇒山上宿坊にて休憩⇒大峰山寺本堂⇒下山
※行場修行は、その時の状況により変動。

<勤行>
三礼、懺悔文、祓、開経偈、般若心経、御真言、本覚讃

留意しているのは、この道程はあくまでも「登拝」であるという点です。

山上ヶ岳は、全国的に「西の覗き」を始めとする行場が有名で、厳しい修行の山であると知られています。そのため、「難所を攻略するぞ!」というような挑む気持ちが出てしまう人も少なくないのですが、そうではなく、もっと別の気持ちで向き合いたいと考えています。

自然の中に入らせていただき、学ばせていただく。一歩いっぽ足を進めながら、己の心と身体と向き合う。勤行で手を合わせ、自然への感謝、神仏への感謝、ご先祖様への感謝、家族への感謝、親しい者への感謝、とにかく感謝の心で山上を目指していきます。

頂上にある大峯山寺本堂では、修験道の本尊・金剛蔵王大権現様と御開祖の役行者様の前で読経し、各自祈りを捧げます。

  • 山行  イメージ画像4

    お亀石前の役行者尊像

  • 山行 イメージ画像5

    西の覗きでの修行

  • 山行 イメージ画像6

    大峯山寺山門

武術と山岳修行は同根である

この古来から受け継がれてきた行程には、決して忘れてはいけない大切なものがあります。それを感じることで、人間的な成長の糧とします。傲慢な姿勢で山と向き合うのは禁忌です。

武術修行の一環としての登拝ですが、木刀を振るといった武技の稽古を行うことはありません。直接的な武技の鍛錬以外で武術の上達に重要なものを授かるのは、とても良い経験になりましょう。

武術も、突き詰めれば「人間としての在り方」に他なりません。祈りも武術も、根本は一つです。 山に行くことが、どうして武術の上達につながるのか。そう疑問に感じる人は多いと思いますが、かつての日本人は、山を始めとする自然と触れ合い、親しみ、恐れ、感性を育んできたのです。武士もしかりです。

それは、近代化する日本で失われつつあるものでもあり、だからこそ、機会を設けて自然と向き合う必要があります。

我々が修行するのは近代格闘術ではなく古流の武術です。人間本来の心と身体を求め、世界の真実を模索していくという思想に基づいています。であれば、形だけではなく感性も古流に立ち返らなければ、本当の技を得ることは出来ないのではないでしょうか。

懺悔懺悔、六根清浄。 何か良いことがあるだろう、もっと得をしたい。そんな気持ちは忘れて、ただ淡々と歩かせていただく。時に優しく、時に厳しい大峰山の大自然は、俗世で穢れた我々を受け止めてくれる懐の広さがあり、感謝と謙虚さを取り戻させてくれる無二の行場であります。

武術と山岳修行は同根です。門人各位は、ぜひ参加してください。

※要所でお経を唱えますが、宗教的な思想を強要することはありません。宗派に関係なく参加いただけます。

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