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稽古の方針

同じ気持ちを持つ仲間と共に

みなが心地よく稽古するためにの環境

煉誠館の稽古では、剣術、柔術、杖術などを通じて、武技の修得や心の向上を目指します。

ただ、闇雲に反復練習をすれば上達するというものではありません。一つひとつの動きを大切にして、自分自身の身体と心を観察しつつ、相手との関係性を構築する。その努力の積み重ねが、上達への道標となります。いくら数多く繰り返しても、間違ったやり方では逆効果です。

具体的には、我(仕太刀)と敵(打太刀)に分かれて決まった動きを行う「型」によって、自分自身と向き合います。格闘技や一部の武道のような激しい組手を行うことはありませんので、年齢や性別を問わず、誰もが安全に学ぶことが可能です。もちろん武術ですから、極端なことをすれば怪我の可能性もありますが、安全には十分に配慮して稽古しております。

他の古流武術がそうであるように、煉誠館においても表面的な筋力を否定するため、過度の筋力トレーニング等も行いません。

木刀の素振りなどを行えば自然と筋肉を鍛えることになりますが、それは副次的なものです(ただし、正しい方法論で身体を鍛えることは否定しません)。
初心の段階では、筋力を用いた動きをひたすら制限し、武術的な思考を心身に馴染ませることを目指します。

また、いわゆる体育会系のノリで根性を身につけようとしたり、上位者が横柄な態度をとることもありません。一部の道場で未だに見受けられるそのような風習は非常に恥ずべきものであり、百害あって一利なしです。道場とはいえ社会の一部なのですから、一般社会で通用しないことを押し通すことはありません。

とはいえ、武術修行の大きな課題として礼節というものがあります。門人が気持よく稽古に励めるよう、道場内で最低限の礼儀やマナーに反する言動をとる人には、適宜、指導させていただくことになります。

師弟関係とは

そして、これから武術を志す方に、ぜひとも知っておいていただきたいのは、師と弟子の関係です。

武術における師弟関係とは、単純な「教える」「教えてもらう」という関係ではありません。もちろん、師は型や口伝を通じて流派の思想を伝えますが、弟子は、自ら求めて工夫し気付きを得る努力をします。他人から与えられるのではなく、すでに自分の中にあるものに気づくことによって目標へと近づいていきます。

師は、弟子が気づくためのヒントを適切に与える。弟子は、ヒントを受け取って思索し、自ら気づく。
「対価を支払ったから、欲しい物が手に入る」という商行為とは違います。道場に技を買いに来るようなことではないのです。

これは何も武術に限ったことではなく、芸事全般に言えることですが、古来より伝承とはそのような性質を持ちます。教えたくても、教えようがない機微があります。
これを理解しておくことが、上達への近道となります。

と、少し堅苦しく感じられたかもしれませんが、まじめに稽古していれば、絶対に不思議な縁が訪れて良い方向に導かれます。それもまた面白いのです。あまり心配せず、興味を持たれた方は、ぜひ見学においで下さい。

煉誠館には、横柄で偉そうな先生も、意地悪をする先輩もおりません。みな、同じ気持ちで頑張ろうとする仲間を歓迎いたします。難しくもやり甲斐のある武術の道を、共に歩んでいきましょう。

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