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何のための修行か

この世で果たすべき課題を知る

己を知り、より良くあるために

煉誠館での修行は、目の前の勝利を得るためだけに行うものではありません。戦闘の技術を方便としているため、どうしても勝利を得ることが目的であるかのように見えますが、それは少し違います。

単に争いごとに勝ちたいのであれば、武術をやらなくとも、他に良い方法がいくらでもあります。同じように、暴漢から身を護る狭義の護身術という意味合いで武術を捉えるのも違うように思います。もちろん、武術を学ぶことで護身術は身に付きますが、煉誠館においては、それを主目的とはしておりません。

では、何のために武術の修行を行うのでしょうか?

人それぞれ、この世で果たすべき課題があるので一概には言えませんが、武術の修行を通じて己を知り、より良い存在になるべく向上していくこと自体が目的だと煉誠館は考えます。

稽古はもちろん、日々の生活、仕事、勉学、与えられた環境の中で、可能な限り自身を磨いていく。その道程は簡単ではありませんが、一歩ずつ淡々と向上を目指す。そのために武術を役立ててもらいたいのです。

武術は、ややもすると、闘争の促進を目的としているかのように見えます。

そのため他者との争いに勝つという二元的な目的から始まりますが、やがてそれに疑問を抱き、年月を経るごとに別の価値観に気づかせてくれます。

目先の勝敗にこだわる欲望は、他人と自分とを比較するところから生まれます。人は、それぞれが自分だけの課題を持って生まれてくるのですから、才能も、能力も、性質も様々です。他人と自分を比較することはあまり無意味がなく、天命と向き合いながら、自分に与えられたものを高め続けるしかありません。

全ての基盤は、自分自身。何を為すにしても、自分自身の人間性をおろそかにしていては、良い結果につながるわけがありません。

わざわざ貴重な時間や金銭を費やして修行するのですから、より良く生きることを目的に武術と向き合いたい。人殺しの技術を習得することだけに価値を見出して一喜一憂するのは、あまりにも虚しく悲しいと煉誠館は思います。

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