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護身術

護身の技にどれだけの価値を見出すか

万が一をどれだけ重視するのか

現代において、武術に求められている成果の代表は、いわゆる「護身術」でしょう。

ニュースを見れば、毎日のように残忍で目を覆うばかりの事件が報道されています。強盗、ストーカー、無差別殺人、誘拐など、無慈悲で残虐な事件を起こす輩は、人間性の欠片もありません。報道されていないだけで、実際にはもっと多くの人が事件に巻き込まれ、命を落とし、心に傷を負っています。

不安を煽るつもりはありませんが、我々は、そのような危険と隣り合わせの現実に生きていることを忘れてはならないと感じます。世の中は、思っている以上にクズが多いです。また、これから先、日本の治安が悪化しないとも限りません……。

ですので、煉誠館としては、護身について学ぶのは決して無価値ではないと考えます。例え護身術を身につけたとしても、ほとんどが使う機会もなく、無駄に終わることでしょう。むしろ、無駄である方が良い。

が、万が一ということがあります。意図せず危険な環境に巻き込まれたり、モラルのない狂人に目をつけられることがあるかもしれません。その万が一をどれだけ重視するのか、どれだけ備えるのかによって護身術の価値は変わってくるでしょう。

万が一なんて起こらない、護身術を学ぶくらいなら、その時間で家族サービスをしたり、少しでも働いて出世した方が幸せになれるんじゃない? 仰る通り。一理あります。いくら護身術を修めても、家庭が経済的に困窮していては全く意味がありません。生活の基盤を固めるのはとても大切です。家庭を円満にして経済的な余裕を持つというのも、広義の護身術と言えるかもしれません。社会的に成功を収め、権力を手にするのもまた、同じ意味で護身術かもしれません。

いざという時に
行動できる自分であるために

このように、護身術を模索すれば際限がなく、簡単には語り尽くせないのですが、一つ、煉誠館からお伝えしたいのは、万が一、直接的な暴力事件に直面した時、何らかの行動を起こせるのは、備えのある人間だけだということです。全く予期していなければ、足がすくんで動けないでしょう。

もちろん、場を収められるかどうかはやってみないと分かりませんし、生兵法は怪我の元、逆に返り討ちに合う可能性もあります。というよりは、ほとんどの場合、敵を振り切って逃げるのが精一杯で、思うように事が運ぶなどは稀でしょう。特に、身体的に不利な女性の場合は、護身術なんて気休めでしかありません。

ですが、そのようなマイナス面を考えても、武術に伝わる護身の技は、身に付けるに値すると煉誠館は考えております。

自分自身が被害にあって死ぬだけであれば諦めがつくかもしれない。ですが、自分の目の前で、家族、友人、大切な人が被害に合い後悔するくらいなら、やるだけのことはやっておいた方が良いのではないかと思う次第であります。

基本的な武術の動きを修めた上で、常日頃から危険に対して備えておくという意思。それが、感性を鋭敏にして自然と危機を遠ざける護身につながると、煉誠館は考えております。

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