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武術を学ぶ意義

実生活において励みとなる武術

武術の本来の姿とは

現代社会において、武術という体系に期待されていることは何でありましょうか。

人が武術を学ぼうとする動機としては、「強くなりたい」という衝動に駆られてというのが大半であろうかと思います。強さ、という言葉に込める想いは人それぞれでしょうが、この場合は、喧嘩に勝ちたい、身を護れる力が欲しい、といった、肉体的な強さを意味することが多いようです。

実際、煉誠館にも、そのような動機で入門する者が少なくありません。戦いの技術を基盤として伝承される武術ですから、それは当然なのでしょう。
世間一般のイメージとして「武術=敵と戦うための技術」であるということが、ほぼ固定化されていると言えます。

ですが、武術の本来の姿は、そのような戦いの技術とは対極に存在しています。

敵を打ち殺すことだけを求めるような狂気の所業に、かつての武士たちが魅力を感じたわけがない。そこには、武士たちが生涯をかけて追及するに足る理由があったはずです。

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    他者と対峙して何を学ぶか

人間としての在り方に迫る武術

武術において、戦いの技術は方便です。無論、初心の段階では戦いに勝つことを主目的として技術を学びますが、それはあくまでも初心の話であり、上達するにつれて、戦いへの執着から離れていきます。

というよりは、戦いに勝利するための理が、人間という存在を全うするための理と合致して、精神の向上につながっていくのです。現代まで連綿と受け継がれる武術には、戦いを超えたところにある「人間としての在り方」に迫るための手掛かりがあります。
でなければ、精神的な高みを目指す武士たちが、多くの時間を費やして修行に励むわけがありません。

武術を通して、日々自分と向き合う。相対する敵ではなく、自分自身と。

そのような日々を繰り返すうち、ある一つの事実に気づきます。コントロールすべきは他人ではなく、恐れ、迷い、怠惰、傲慢に支配される、自分自身の心であることに。

勝ちたい、負けたくない、倒したい。武術を学び始めたばかりは、特にそう夢想するでしょう。

ですが、それらの執着は、逆に勝利を遠ざけてしまうのです。

その真実に気づき、自分自身の心身を調整する重要性に気づいた瞬間、武術者のレベルは底上げされます。

この気づきは、武技上達のための手掛かりであると同時に、日々の生活でも十分に応用が利く、精神向上のための真理であります。

これは、知識だけ知っていても、さほど意味はありません。経験し、体感し、少しずつ自分の血肉としていく類のものです。

武術は、敵対する相手を倒すという構造を持ちながら、敵を倒すことを目的にしておりません。その構造は方便であり、現実的に有用な危機対応の護身術と平行して、自身の修め方や、世の中の法則を体感していくことが、武術の修行です。

そこに、現代における武術を学ぶ意義があるのではないかと、煉誠館は考えております。

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